日本が”課題先進国”になった真の理由とは何か? BY 大場 龍夫

自然災害と歴史に鍛えられ、多様な社会問題が顕在化する”問題先進国日本”。人類の危機の最先端に立って粘る日本。人類のために日本を目覚めさせたい!

人類が大きな進化を遂げるためには?

すべては、関係している。

 

そのつながりが見えないだけだ。

 

全ての関係性が理解されたら、

 

「全ては一つなんだ」を理解できる。

 

しかもそれは、一つの素材からできていたなんて。

 

究極の共通から究極の多様性が生まれてくる。

 

しかもその素材は、

 

認識することが不可能、

 

感じることも不可能な非存在だ。

 

認識することが不可能な非存在から

 

存在がどうしたら生まれてくるのか?

 

その非存在から存在が生まれてくる仕組みがある。

 

存在が生まれてくる仕組みが理解すれば、

 

それを活用応用して自分と環境を創造をすることができる。

 

これが当たり前になってしまったら、

 

人類の進化は、ものすごいものになるだろう。

 

いまが、その大きな変化の機会が訪れている。

 

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人類がまだ突破したことが無い壁を飛び越える方法とは?

少子高齢化が止まらない。

 

若者は出会いを恐れている。

 

出会ったとしても付き合うのもめんどくさい。

 

結婚しても、すぐに分かれる。

 

結婚しても自由がなくなるからと、子づくりをしない。

 

子供は欲しくても、教育費を稼げないと思っている。

 

ほんとはこうしたいのに、自由にできない。

 

制約がある。囚われの中にいる。

 

いままでは、我慢してこれに耐えてきた。

 

でも、もう我慢したくない。

 

我慢しても、その先に見えるものがないのだ。

 

そうして、人はバラバラになる。

 

孤独になる。

 

生きる意味が分からない。

 

どこに向かったらよいか分からない。

 

だからこそ、その裏で、

 

今のままではだめだと気がつき、

 

本質を追求する人がどんどん増えていく。

 

何が問題なのか?問題意識がどんどん深まっていく。

 

限界に出会えば、外に出ようとしてもがく。

 

この壁をどのようにしたら突破できるのか?

 

実は、人類誕生から500万年の間、突破できない壁があった。

 

それを発見し、

 

新しい言語を開発して、

 

論理とイメージで突破する方法を編み出した人がいる。

 

これは希望だ。

 

ついに、人類みんなが新しい次元にいく時が来た。

 

 

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

 

新時代に必要な新言語とは?

人間は、言葉を話して意思疎通ができる。

 

意思疎通ができることにより、

 

動物に比較して、高度な社会性を営むことができる。

 

言葉があるから考えることもできる。

 

ところが、この言葉は、

 

同じ言葉を使っているからといって、

 

同じ内容を表すことができない。

 

たとえば、”愛”という単語を一つとったところで、

 

愛に対するイメージも、感情も、考えも、

 

文化が違えば当然違うことになるだろうし、

 

実は個人個人で異なっている。

 

ということは、意思疎通には限界があるということだ。

 

単語だけを捉えたところで、

 

その単語からくるイメージ、感情、考えはそのままでは伝わることがない。

 

それぞれの人の判断基準、価値基準も異なっている。

 

〇とか✖とか、善と悪とか、良い悪い、好き嫌いが

 

入ってくると、もうばらばらになるしかない。

 

そんな状態が、そんな問題が、

 

人類が生まれてから、まだ解決していない問題である。

 

国家間の紛争を解決する手段として、戦争が無くなっていない。

 

誰も傷つけようと思っていないのにも関わらず、

 

紛争が無くなっていない。

 

傷つけあうのがよくないのが、分かっているのに、

 

傷つけあいが無くなっていない。

 

この人間と人間同士のこのギャップが、

 

紛争がなくならない原因である。

 

だから、紛争を永遠に無くす恒久世界平和のためには、

 

この判断基準の違い、観点の違いを乗り越える道具が必要である。

 

この道具とは、人類共通の土台を発見する道具でもある

 

この道具とは、個々人に共通の確固たる土台を生み出すのは、

 

人類共通の言語である。

 

既存の言語では、過去のデータに基づくもの、

 

見えるものを言語化しているために、

 

未知のもの、未来のもの、絶対性を探索する言語とはなっていない。

 

人類共通の土台作りをするためには、

 

新しい既存のものではない言語を開発する必要があった。

 

その言語がイメージ言語である。

 

〇も✖もない、善も悪もない、男と女もない、

 

若いも老いもない、良いも悪いもない、好きも嫌いもない

 

何かが生まれる前の共通の土台であり、何かを生み出す共通の土台である。

 

そんな言語をよく開発したものだと思うが、

 

これがだれでも理解できるようにプログラム化されている。

 

人類が全く新しい社会に転換していくためには、

 

この言語の習得が必要条件になるだろう。

 

難しいものではないから、

 

新時代を築くために、みんなで早く学んでしまったほうがよい。

 

 

 

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

私と祖先と日本と人類の関係性とは?

ある知り合いの女性に久々お会いする機会があった。

 

その方は、とても頑張り屋さんで、一人で何役もこなす。

 

なんでもかんでもやってのけるパワーとヴァイタリティ―を持ち、

 

それでいて優しい。人懐っこい。美貌の持ち主でもある。

 

けれども、パートナーを探して結婚するのだが、分かれてしまう。

 

別れるのは、必ずしも悪いわけではないが、

 

でも思い通りにいかないと嘆いていた。

 

思い通りに行かない人間関係。

 

深い付き合いをすればするほど、

 

すれ違っていく人間関係。

 

これがどうして、このようになっているのか?

 

これが何のために、このようになっているのか?

 

そこには、仕組みも目的もあるのだ。

 

人間であれば、誰にでも当てはまる共通の仕組みと目的だ。

 

私の場合も同じだ。

 

私は高度経済成長期が始まる下町の小さな町工場で生まれた

 

東京オリンピックの年だ。

 

全ての力を経済に集中するような時代背景がある。

 

両親も祖父母も、仕事第一で、言えば仕事を中心回っていた。

 

私は、4人兄弟の長男に生まれたが、

 

両親は忙しく、仕事はやらせられるが、

 

忙しすぎて、まともにお話をしてくれない。

 

誰も構ってくれないから、小さな時から癇癪持ちで、

 

怒りの感情が爆発する記憶が残っている。

 

ガラスの窓をわざと蹴って、自分を血だらけにしたり、

 

嘘をついたり、暴力をしたり、問題を起こして両親の気を引こうとした。

 

両親の愛をもっと受けたかった。

 

もっとたくさん構ってほしかった。

 

そんな子供時代を過ごした。

 

小学校に入ると、

 

”いい子”でいることで、

 

両親が喜んでくれることを覚え、

 

勉強もするし、言われた通りにお手伝いもするような

 

”いい子”になることを徹底してやった。

 

これによって、愛を獲得しようとしていた。

 

先生の言いつけもよく守り、ルールを重んじるような

 

”いい子”でいることが一番重要だったため、

 

正義感ぶって、クラスの子のルール違反を先生に言いつけた。

 

だから、学校ではよくいじめにあった。

 

自分では、正しいことをしているつもりなのに、

 

いじめられてしまう。

 

そのため、

 

「どうせ分かってもらえないんだ。一人でやるしかないんだ。」

 

ということをさらに確信していくんですね。

 

意識では、みんなでやりたいと思っているし、

 

分かり合いたいと思っているのですが、

 

無意識は、逆なんですね。

 

学生時代も、会社に入ってからも、

 

パートナーに出会って家族を創っていくときも、

 

この意識と無意識が両方はたらいていました。

 

それは、後から分かったことなんですけれどもね。

 

意識では、「深く繋がって一緒にやろう!、理想のチームプレーをしよう!」

 

と思い、そのつもりでいるのですが、

 

無意識は、「どうせ分かってもらえないんだ。一人でやるしかないんだ。」

 

となっている状態だったのです。

 

つまり、アクセルとブレーキが同時にはたらいている状態ですね。

 

けれども、無意識の方が強力なので、

 

重力のように無意識によって引き戻されてしまいます。

 

たとえば、妻との関係性も些細なことで

 

うまくいかなくなります。

 

普段は、我慢してコミュニケーションをしているのですが、

 

我慢しきれなくなって、感情が爆発してしまいます。

 

「どうせ、わかってもらえない」が無意識のうちにはたらくのですね。

 

あんなに大好きだった妻に対して、暴力までするようになってしまいました。

 

子供たちにも、好き勝手していることを許せずにいたと思います。

 

自分なりにこれが正しいことなんだという思い込みの基準を基に、

 

子供たちを厳しく躾けていくことをしていました。。

 

「これ以外は認めない、勝手にするのなら、自分の子じゃない」

 

なんていう無意識で、子供たちにも接していたと思います。

 

だから、別のことをしたら、すごい怒っていたのですね。

 

それでも、言うことを聞かなければ、

 

「あー、どうせ分からないんだ」とがっかりして諦めてしまう。

 

これも「どうせわかってもらえない」がベースにあるからです。

 

家族だけでなく、会社でも関係性の問題が起こりました。

 

職員が真の理由が分からずに辞めていく、

 

幹部が鬱になっていく、

 

幹部との意思疎通がうまくいかない。

 

これも意識では、努力して努力してコミュニケーションをやって、

 

みんなとうまくやろうとするのですが、

 

無意識では「どうせ分かってもらえないんだ」という

 

関係性に対する深い諦めがあるのですね。

 

いつのころからか私は、本音で話ができなくなっていました。

 

本当の出会いが欲しいのに、本音で話ができないのです。

 

親しい友人もおらず、孤独でした。

 

孤独を紛らわすために、

 

ひたすら仕事に集中するか、

 

本やセミナーで自己啓発を貪るか、

 

趣味のゲームに集中するか、

 

何かに没頭していました。

 

孤独から逃れたいと思いました。

 

しかし、それでは孤独から解放されることはありませんでした。

 

経営者は孤独なんだと諦めていました。

 

でも一方では、探し続けていたのですね。

 

そして、出会えたのです。

 

それは教育プログラムになっていました。

 

そのプログラムにより、

 

人間と人間の宇宙が、無いところから生まれてくる仕組み

 

が現代物理学を含めて理解できたのです。

 

それにより、

 

「なぜ孤独になったのか?」、

 

「なぜ孤独になる必要があったのか?」

 

も明確になり、悩んでいたこともスッキリして、

 

問題が問題でなくなってしまいました。

 

この問題は、

 

個人の問題ではなく、

 

人間全体の問題、

 

人類共通の問題だったんだということが分かりました。

 

特に、この私の姿は、日本の姿と繋がっていたのですね。

 

私が、感じていた「誰にも分かってもらえない」という孤独感は、

 

理想を追求して全てを失った戦争の結果、

 

全ての力を経済に結集しようとした日本、

 

両親、祖父母たちの姿でもあったのです。

 

このことを教えてくれたのが、

 

このnTechという技術の創始者であるNoh Jesu氏という

 

韓国の方です。

 

反日教育の海にいる韓国の方が

 

日本の特異性、美しさ、素晴らしさを語っているのは

 

とても勇気のいることだし、意味のあることです。

 

私は、決めました。

 

「日本を、人類のお手本にする!」

 

日本には、その資格も、潜在能力もある。

 

逆に日本がお手本になれなければ、

 

人類が理想に向かわずに、危機に陥る。

 

核戦争しかり、AIしかり。

 

だから、日本を人類のモデルにしていきたいのです。

 

どなたか、一緒にやろうという方がいらしたら、

 

是非お声がけください。

 

 

今日もお読みいただき、ありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

繰り返し起こる現象を変化させるためには?

この世界は人間の脳が生み出した世界だ。

 

この世界をどのように認識しているかが、

 

そのまま現象として現れる。

 

たとえば、わたしはばかな人間だと思えば、

 

ばかな人間だと思える現象に出くわすし、

 

自信がないと思っていれば、

 

自信がない現象に出くわす。

 

これが、無意識に思い込んでいるので、

 

自然のその現象が起きてくる。

 

放置すれば、その状態のままなので、

 

意識して、その状態を脱するために頑張るけれど、

 

無意識が、その状態のままなので、

 

また同じ現象を生み出すことになる。

 

この無意識の思い込みの元型は、幼少期につくられる。

 

私の場合は、象徴的な出来事が4歳ごろにあった。

 

母が、弟たちとともに、

 

幼稚園に初めて連れて行ってくれたときのことである。

 

幼稚園に預けられて、弟たちを乳母車に乗せて帰っていく姿を見て、

 

離れたくないと強く感じ、幼稚園から飛びだそうとする私を

 

先生につかまえられながら、激しく泣き叫んでいた私を

 

はっきり覚えている。

 

「私のこと、わかってもらえない。

 

どうせ、私から離れていくんだ。

 

一人でやるしかないんんだ!」という

 

思い込みの決断をした。

 

判断基準が未熟な状態で、このような決断がなされることで

 

無意識のパターンの元型が作られる。

 

このパターンの元型が、その後の人生の現象のパターンを生み出す。

 

繰り返し起こる人生の現象には、仕組みがある。

 

パターン化された現象は、無意識の元型により、

 

自動的機械的条件反射による認識の結果生み出される。

 

私に繰り返し現れる現象は、

 

出会っても、出会っても、初めはいいけれど、

 

そのうち、

 

「どうせこの人わかってもらえないんだ」

 

「やっぱり、人は信じられないんだ。」

 

「人は裏切るんだ。」

 

「自分のこと分かってくれる人はいないんだ。」

 

「人は理解できないことをするんだ。」

 

「どうせ、一緒にはできないんだ。」

 

そんな感情やイメージが来ていたのですね。

 

そんな感じで、相手を認識しているので、

 

たとえば、何か意見を言われれば、

 

「どうせ、私のこと分かってくれないだ。」

 

を無意識的に感じて、

 

私の表情にも、ことばにも、行動にも

 

自然に現れて、相手にも周りの人にも

 

当然ながら伝わります。

 

その結果、いつも

 

「人と分かり合えない」、

 

「どうせ分かり合えないんだ」、

 

「人は裏切るんだ」

 

「人は信用できないんだ」

 

を蓄積していき、

 

「あー、やっぱりそうなんだ」と

 

どんどん確信を深めていくことになりました。

 

その行きつく先は、

 

人生に対する諦め、絶望ですね。

 

それも無意識にやってしまうのです。

 

意識としては、「みんなで理解しあおう」、「その時だけのことじゃないか」、

 

「たまたまそういう人がいただけじゃないか」とか、

 

「あきらめないことが肝心だ。再度人間関係を構築しよう!」と

 

がんばるのですが、

 

でも無意識の方が強いのです。

 

何しろ自然がその状態なんですから。

 

無意識よりも、もっと深いところまで掘らないと

 

無意識をなんとかすることができないですね。

 

その無意識よりも深いところを掘っていく技術が

 

認識技術nTechなんです。

 

よくこんなものができたなと思います。

 

今日もお読みいただき、ありがとうございます。

人間が創造主であることが分かるためには?

私たちは、創造主だ。

 

ゼロから何かを生み出すことができる。

 

何もないところから、何かを生み出すことができる。

 

私たち一人ひとりが、見ている世界は、

 

脳が作り出した世界である。

 

5感覚が、世界の情報の中の一部を引っ張って、

 

さらに、脳が過去の記憶の一部を引っ張って、

 

合成して、見えている世界である。

 

だから、真実を見ているわけではない。

 

情報のほんの一部を、

 

しかも、脳の癖によって、

 

過去と比較しているために、個人個人が違う世界を見てしまう。

 

だから、お互いを理解しようとしても、

 

違う世界を作り出しているため、それは無理というものだ。

 

これによって、人類が誕生して数百万年を経た今に至るまで、

 

戦いの歴史が終わっていない。

 

脳が生み出すこの世界を、さらに素晴らしくしていくために、

 

脳をコントロールする必要がある。

 

これができれば、世界をコントロールすることが可能となる。

 

つまり、自分の人生をコントロールできるのだ。

 

この時に、人間は、本当の創造主になれる。

 

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

時間とは何か?

時間というのは何か?

 

時間はどのように感じているのか?

 

短く感じる時間もあれば、長く感じる時間もある。

 

どのように時間を感じるのかは、条件状況によって変化していく。

 

ものごとが変化したり、移動したり、運動したりしていることをみて、

 

時間というものを感じる。

 

もしも、変化が無いように感じれれば、時間のスピードが遅く感じる。

 

変化が激しく感じれば、時間のスピードも速く感じる。

 

時間とは早く感じたり、遅く感じたりする。

 

時間は、絶対ではない。時間とは相対である。

 

だから伸びたり縮んだりする。

 

相対性理論は、時間の進み方は一定でないことを立証した。

 

実際に、速度が光速度に近づけば、時間が進まなくなる。

 

そもそも時間とは、一定に進んでいくものではないんだ。

 

そもそも時間は、宇宙空間が生まれる時にできたものだ。

 

だから、宇宙が生まれる前は、時間もなかった。

 

時間とは、時間が無いところから、宇宙と共に生まれてきたものだ。

 

だから、時間にはリアリティーがない。

 

時間は、まるであるかのように、流れているかのように見えるが、

 

時間とは、人間の脳が生み出した変化の指標なのだ。

 

アリさんにはアリさんの時間があり、

 

ゾウさんにはゾウさんの時間がある。

 

人間の時間とアリさんの時間とゾウさんの時間は、別物である。

 

脳が生み出した指標に過ぎない。

 

時間に囚われず、時間を無くして、

 

”いまここ”しかないことを知りたい。

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。