自分がすべきことを理解するためには?
私は、何をしたらよいのか?
私は、何をすべきなのか?
誰もが、それを知らない。
そのために、モデルを探そうとする。
そのモデルは、どこにいるのか?
誰がモデルかもわからない。
誰をモデルにしたらよいのかを知らない。
どのように判断したらよいのかも分からない。
だから、とりあえず周りを見渡し、周りの真似をする。
周りの人が、こう言っているから、
親が言っているから、昔からそうだから、
先生が言っているから、社長が言っているから………。
その親は、その先生は、その社長は、その方々は、
では、どのような判断基準で、そのようなことをしているのだろうか?
そのまた親か、そのまた先生か、昔のどこかの社長だろうか、
あるいは政治家か?
その方々は、ではどのような判断基準で、
それが正しいと思っているのだろうか?
正しさは、相対的ではないか。
周りの世界に絶対というものがない。
見えているものは、みんな相対の世界だ。
根拠はないけど、相性がよさそうな考えを
取ってきて、それを現実に当てはめたりしていた。
尊敬している人が言っているから、それを信じている。
でも、この考えている言語自体が、借り物だ。
借り物を使って、考えているではないか。
この状態では、自分が何をしたらよいのか、何をすべきなのか
を理解することができない。
しかも、この借り物は、
それぞれの個人のイメージが乗っかっている。
人によって異なるものだ。
だから、これを伝達することができない。
不立文字。ことばで真理を表現できない。
借り物であり、仮想のものであり、幻想にすぎないのだ。
ならば、真理はどこにあるのだろうか?
5感覚のセンサーで掴める世界は、架空の世界。
脳のイリュージョンだ。
真理とは、イリュージョンを全て消した世界。
イリュージョンを観察する主体だけがある。
この主体から脳のイリュージョンを再設計して、
自ら生み出していくことができる。
それを可能にする技術がnTech認識技術だ。
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