私と私たちと日本の繋がりとは?
私は現在、55歳。4児の父です。会社を起して、経営をしています。
私の心の経験をみなさんにお伝えすることで、
みなさんの本質的な成功、本質的な幸せ、
私たち日本と世界の幸せ成功につながるようにと願いながらお話をします。
私は、東京下町の小さな町工場で生まれました。
55年前のことです。
私が生まれたのは、東京オリンピックの年で、
日本が敗戦の焼け野原から復興して、
高度な経済成長をしている時でした。
世界は、日本を脅威の目で見ていたと思います。
全国の都市が破壊されている状態から、
モノづくりに、全精力を傾けて集中をしていたのでした。
私の家は工場と一体となっていて、
従業員さんも住み込みで働いていましたし、
家族総出で仕事をしているような状態でした。
父も母も祖父も祖母も何しろ仕事に忙しい。
4人兄弟の長男だったのですが、子育ても忙しい。
私は、母も父に話しかけても、いつも
「忙しいから、後々!」「自分一人でやれるようにしなさい!」
何かを尋ねると「お前はバカだね。そんなことも分からないの?」
という返事が耳に残っています。
誰も構ってくれない。
「僕のことなんてどうでもいいんだ!」
と思い込むようになりました。
オッパイが足りない。愛情に飢えていました。
父に振り向いてもらうためには、
自分が完璧に優秀で、役に立たないとだめだと思い込みました。
母に振り向いてもらうためには、
母のいいつけをよく守り、
言われたとおりにやるいい子でいないとだめだと思い込みました。
ここから判断基準が固定化されていきました。
「完璧に優秀」:〇、「優秀ではない」:×
「役に立つ」:◯、「役に立たない」:×
「言われたとおりにやる」〇、「協力する」:〇、同調する:〇
「言われてもやらない」:×、「反抗する」:×、「反対意見をいう」:×
この判断基準の〇×を、無意識に正しいと思い込んで、
自分にも他人にもを当てはめるようになります。
その結果、自分の判断基準に合う自分〇、自分の判断基準に合わない自分×
自分の判断基準に合う他人〇、自分の判断基準に合わない他人×
自分にも他人にも、これを無意識にやり続けていたんですね。
無意識が、表情になり、言葉になり、行動になります。
無意識に、正しいと思い込んでいた判断基準が、
現実に現象化されて起こります。
それを確認するものですから、さらに確信が深まります。
それによって、認識がしっかりと固定化されていきます。
自分の無意識通りの世界が現実化するのです。
その結果、家庭を創っても、家族との人間関係がうまくいかない。
妻と喧嘩ばかりしていました。
家庭の中はピリピリの戦争状態でした。いつまた紛争が勃発するか分からない。
子供たちはビクビクと怖がっていたのです。
子供は自閉症になり、学校にも行けなくなってしまいました。
職場では、理由がよく分からないまま職員が辞めていくんですね。
鬱になる幹部もいました。
そして、ついに体も壊してしまいました。
それは後で癌だったことがわかりました。
そんな時に、認識技術nTechに出会ったのです。
私の妻の友人からの紹介でした。
「お宅の旦那には、これがいいよ!」と。
全くの未知の世界との出会いだったので、
当初は、意味や価値がよく分からなかったのですが、
全てのことが繋がって理解できた時に、
この自分と自分の宇宙が消えてしまったのですね。
「自分と自分が認識している宇宙・自然は、
実在していないホログラムだったんだ!」と。
そしたら今まで悩んでいただことが、
スッキリと溶けてしまっておりました。
そして、家庭の家族が、職場の職員が
まるで別人に変化してしまっていたのです。
コミュニケーションの難したった息子とも
話ができるようになっていました。
現実が認識を創っているのではなく、
認識が現実を創っていたのですね。
そして、これは私一人だけの問題ではない。
みんな同じ構造をしているんだと分かりました。
さらに言えば、日本そのものが、その構造になっていることを知りました。
それを教えてくれたのは、
日本はアメリカにとって、
「”完璧に優秀で、役に立ち、言いつけを守るいい子”
でいなければいけない」という思い込みの呪縛があります。
明治の高揚と太平洋戦争における敗戦、
大成功と大失敗の挫折を経験し、
アメリカによって、精神的に強姦され、
いまだにコントロールされている日本。
そんな小さな思い込みから解き放たれ、
病んだアメリカを
抱きしめられる日本にしたい!
日本を、
世界に恩恵を与える女神にしたい!
そう思えるようになりました。
日本を世界を救う女神にしたいと思う方は、ぜひ一緒にやりましょう!
今日もお読みいただき、ありがとうございました。