日本が”課題先進国”になった真の理由とは何か? BY 大場 龍夫

自然災害と歴史に鍛えられ、多様な社会問題が顕在化する”問題先進国日本”。人類の危機の最先端に立って粘る日本。人類のために日本を目覚めさせたい!

150年前の危機と恒久世界平和

150年前に、日本は危機を迎えておりました。

 

イギリス産業革命、フランス市民革命の

 

二つの近代革命を成し遂げた西洋列強は、

 

黒人、黄色人種が住むエリアを次々と植民地化していく。

 

黒人、黄色人種を同じ人間だとは、捉えていないですね。

 

経済的にも政治的にも支配して、収奪していく構造をつくっていった。

 

国ごと奴隷化していく。

 

そういう時代だったわけですね。

 

アジアでも殖民地化が進んでいったわけです。

 

明治の時代、アジアではタイと日本以外は

 

全て殖民地になってしまったわけです。

 

「アジアの植民地」の画像検索結果

第二次世界大戦の10年前のアジア)

https://blogs.yahoo.co.jp/kitanotamotu/GALLERY/show_image.html?id=32685217&no=0

 

当時対抗できたのは、

 

世界で唯一独自に近代化を成し遂げた日本だけ

 

だったわけです。

 

ナーセル第二次エジプト大統領が、

 

「(第三次中東戦争惨敗後)アジアには日本がいた。

 

アラブには日本がいない。

 

アラブ諸国が近代化を成し遂げられないことを憂いたそうです。

 

”アジアの近代化はアジアでやるんだ”と、

 

人種差別撤廃を主張し、

 

西洋による植民地化に抵抗した日本に対し、

 

西洋列強は、ついに日本を包囲していくわけです。

 

それがABCD包囲網

 

アメリカ America,イギリス Britain,中国 China,オランダ (蘭印) Dutch East Indies)

 

ですね。

 

日本は、資産を凍結されて、石油の輸入を止められてしまいます。

 

これでもう、日本の未来がないと判断して、

 

戦争を決断してしまいました。

 

 現代の今を基準に歴史を捉えたら、もちろん

 

「もっと辛抱すればよかった」とか、

 

「なんとか持ちこたえられたのではないか」

 

とIFを言うことは可能なのですが、

 

当時の基準では、かなり無理な我慢の選択であったろうと推測します。

 

日本はあくまで外交交渉で解決しようとして、

 

妥協案を用意していたのですが、

 

妥協案を無視されたと思ってしまい、

 

交渉は不可能と思ってしまい、

 

話し合いに絶望してしまいました。

 

人間関係も、国と国の関係も同じですね。

 

お互いの主義主張が衝突してしまって、

 

融合できない。

 

お互いに正義がある。

 

自分が正しいと思っている。

 

すべての人間関係、すべての組織関係、全ての国家関係に

 

この問題が起こっています。

 

人類が、未だに解決できていない問題が、

 

この”正しい”という自分の主義主張の衝突です。

 

でも逆に、”正しくない”となれば、そもそも主義主張になりませんね。

 

”正しい”としても衝突して問題が起こるし、

 

”正しくない”としたら、そもそも主張できないですね。

 

だから、

 

正しくても、正しくなくても、

 

どちらも問題が起こってしまって

 

解決できません。

 

つまり、”正しい”、”正しくない”を超えていかないと

 

そもそも問題を解決できない訳です。

 

あらゆる戦い、紛争が解決されるためには、

 

この”正しい&正しくない”判断を超えることが必要です。

 

正しくてもだめ正しくなくてもだめなんです。

 

そう、このレベルでいる限りは戦争、紛争、争いはなくなりません。

 

 

以上、お読みいただきありがとうございます。

 

 

 

追伸

正しい正しくないの世界を超えて、争いのない世界を創造する方と

 

繋がっていきたいと思います。

 

ご興味ある方はお声がけください。